障害者はどこにいる?(インクルーシブ徒然)

インクルーシブ

私は障害者がどこにいるか知らなかった。
障害者といえば車椅子に乗っているか
杖をついている身体障害者だと思っていた。
見てわかる身体が不自由な人。

私の通った学校には一人も居なかった。

「自閉症」という言葉は知っていたけれど、
それは「精神病」という物の一種で、
罹ったり治ったりすると思っていた。
酷ければ精神病院に「入れられる」と
思っていた。

今思えば、学校には発達障害の
色んなパターンの子はいたように思う。
暴力的か極端に勉強ができないか
不潔かで教室の規律を乱す存在である事から、
なんとなく仲間外れにされていて、
先生に「仲良くしてあげよう」と言われて
みんなが渋々グループに入れてあげたりする
ような子だ。
あるいは転校していく子。
あの子たちの中にはきっと日々
上手くいかなくて困っていた子もいたのだろう。
自分の気持ちも把握できず苦しかっただろう。
その子たちの家族も辛かっただろうな。

電車に乗ったりすると、
意味のない言葉や動作を繰り返す人に
たまに遭遇した事はある。
それが大声だったり激しい動きだったら
身の危険を感じて急いで離れた。
「頭のおかしい人に危害を加えられる」
という危機感。

「頭のおかしい人」は後に通報されて
警察に身柄確保され、
どこかに収容されるんだろうと
勝手に思い込んでいた。

私は大人になるまでずっと
そんな偏見を持っていた。

なぜなら周りに障害者もいなかったし、
障害者の事を教えられる場も
なかったからだ。

子供の疑問には
一言で答えられないものがある。
「赤ちゃんはどうして生まれるの?」
とか。
その中でも
「あの人はどうしてみんなと違うの?」
は、答えにくい質問の一つだ。

私も子供の頃に一度や二度は
親に聞いた事があると思う。
その時何と言われたかは覚えていないが、
「このような事は口に出しては
いけない事なのだ」と思った覚えがある。
興味を持つのもいけない事のような気がした。
私は疑問に思う事すらやめてしまい、
見て見ぬふりを通した。

放送禁止用語というものもそうだ。
なぜ使ってはいけないのか、
よくわからなかった。
障害者を差別的に蔑める意味合いに
受け取られるからだとわかっても、
障害者をよく知らないから
ピンとこなかった。
だからただ使わないように気をつけて、
疑問もろとも封印した。

私のように障害者を知らない人は
他にもいるのではないだろうか?

現在
「インクルーシブ教育」
というものが注目されている。
障害がある子もない子も
一緒に学ぼうという取り組みらしい。

「みんな同じ」が何より大事な学校では
難しい取り組みだと思うが、
せめて
「世の中には色んな特性を持った人がいて、
それぞれ違うサポートが必要」
という事が知れ渡るといいと思う。

自分の子が障害者かもしれないと
知らされた時は、怖かった。
何も知らないから、
どうしていいかわからない。
私は障害者を知らずに育ったから、
きっと世間から隔離されて過ごすのだ
とすら思った。
確実にわかっていたのは、
通っていた幼稚園は入園時
「障害者お断り」と明記されていた事。

その辺から私のモヤモヤが始まり、
このブログができた。

私は今、うちの子のおかげで
見えにくい障害について
沢山の知識を得ることができた。
うちの子が封印を解いてくれたのだ。

親になった私は
子供から答えにくい質問をされた時は、
ごまかさず、できるだけサラッと
本当の事を言うように心掛けている。
いい答えが思いつかない時は
「今わからないから調べてみる」
などと言うようにして、決して
「もう2度と聞かないようにしよう」
と思わせないように気をつけている。

「みんなと違う人」をタブー化し、
見て見ぬふりして封印してしまう、
私のような大人になって欲しくない
と思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です